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ウヴェ・フリック著、小田博志監訳『質的研究入門 〈人間の科学〉のための方法論』改訂版第14章(要約)

今回はほぼ本文の抜粋です。

ナラティブへの期待
「この(=ナラティブをデータの一形式として扱うこと)の出発点にあるのは、質問―回答形式の旧来型のインタビューで――それが仮に柔軟に実施されても――、人びとの主観的経験をどこまで明らかにし得るのかという根本的な疑念である。」
「ナラティブ・インタビューにおいて、ナラティブというデータの種類には、一方で、事実経過がはっきりする、つまり『それが本当はどうだったか』が明らかになるとの期待が寄せられる。他方では、そのように語られたライフヒストリーの分析から、バイオグラフィー的プロセスの一般理論が導かれる。シュッツェはこれを『個人のライフコースのプロセス構造』と呼ぶ。」

データとしてのナラティブの特徴
データとしてのナラティブを得るための方法論
・「ナラティブ・インタビューは『ナラティブ生成質問 generative narrative question』(Riemann and Schütze 198: 353)をインフォーマントに向けることで始まる。」
・インタビューは、ナラティブ生成質問→インフォーマントが語る→追加質問→総括、という流れで行われる。
・総括の段階で「インタビュイーは『自分自身の専門家かつ理論家』とみなされる」。
・「生成質問によっていったんインタビュイーが語りはじめると、こちらが口をさしはさんで妨げるようなことを原則的にしてはならない。」
・「ナラティブにはそれが語られている間、ある種の独立性がある。」
・「ナラティブ・インタビューの場合、まず『どのようにhow』を問い、その後ではじめてその答えを補完するための説明に焦点を当てて、『どうしてwhy』と問うのがよい、とリーマンは助言している。」
データとしてのナラティブの評価基準
「ナラティブ・インタビューで得られる情報の妥当性を判断する中心基準は、まずインタビュイーの話がナラティブであるかどうかである。」
・発端から結末までを含むことが望ましい、としている。
データとしてのナラティブの問題点
・「構造化されていない大量のテクストをどう解釈するか」
構造化の程度の低いデータが大量に生まれ「データに溺れる」ことにもなりかねない、と述べられています。
・半構造化インタビューで可能なトピックではないか? という問い返しが必要であるとも述べられていました。構造化の程度が低い手法は全体的な考察を可能にするが、検証したい物事の幅が増えるとデータが増え、認知能力的にも作業量的にも現実的なものではなくなるということでしょう。フリックが示唆しているのは、この手法は先行研究を調べ、テーマを絞り、半構造化インタビューでは扱いきれないような研究テーマがでてきた時のみに用いるべき手法だ、ということだと私は考えます。

ナラティブの3つの拘束(蛇足)
語り始められたナラティブが受ける拘束として、フリックは3つの拘束を挙げています。
・形態を閉じるための拘束
・濃縮のための拘束
・詳述のための拘束
「これらナラティブのための拘束によって、他の形式の口頭表現におけるような語り手の側の制御が弱まって、言いがたい話題や領域についても述べられるようになる。」と述べられています。

ナラティブ・インタビューとエピソード・インタビュー
・エピソード・インタビューの出発点、思想的基盤は「特定の領域に関する主観的経験はナラティブ・エピソード的知、ならびに意味論的semanticsな知の形で貯えられ、かつ想起されるとの前提である。」
・「エピソード・インタビューでは、まず具体的な文脈につながりのあるナラティブに時間が割かれる。」「エピソード・インタビューでは、経験を『語ることのできる全体』として人工的に様式化しようとはしない。」
→この『語ることのできる全体』としての人工的な様式化、こそがナラティブのことであると思われます。エピソード・インタビューの思想と対照することで、ナラティブ・インタビューで重視されている「ナラティブの全体性=個人の主観的経験の全体を語ることができる形式としてのナラティブ」という点が浮かび上がりますね。この違いは冒頭の「この章の目標」では「ライフヒストリーとエピソードの間の違い」と書かれています。
エピソード・インタビュー研究の具体例として本書のなかで挙げられていたのは「日常生活におけるテクノロジーの変化」を探るために「テクノロジーとの最初の出会いの記憶、テクノロジーと結びつきのあるもっとも重要な経験」を様々な職業グループについて尋ねるというものでした。ジャンルは科学論に足をかけたものですね(面白そうだなー)。
※エピソード・インタビューの手法を応用可能な分野として、他には「社会心理学」が挙げられています。(特定の領域に関する主観的経験をナラティブ・エピソード的・意味論的に得ることは、特定の心的概念についての(あるいは心的概念そのものとしての)個人の主観的知を得ることにもつながりますから、これが社会心理学にも応用可能なのは論を俟たない、ということ)

ナラティブ・インタビューおよび、エピソード・インタビューは「完全にオープン」なインタビューか?
本章中の答えは否、です。
・「よいナラティブ生成質問には、それに続くナラティブを高度に構造化する側面もある」
・「こうしたナラティブ志向の方法でも、やはりインタビュアーによって方向づけられたり、インタビュー状況の構造化がなされることも忘れてはならない。」
ナラティブが共同構成されるものだ、という議論を踏まえれば、この発言もまた納得できるでしょう。