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ウヴェ・フリック著、小田博志監訳『質的研究入門 〈人間の科学〉のための方法論』改訂版第19章(要約)

19章『データとしてのドキュメントの利用』
本章の要約は以下

  • ドキュメントは種々の方法により分類される
  • 研究において利用されるドキュメントは、それがおかれた社会的・実践的文脈の中においてのみ理解されるべきである
  • 関連して、ドキュメントは単なる現実の複製以上のものである。その内容のうちに文脈に由来するさまざまなバイアスを含んだ、コミュニケーションの一手段であると捉えるのが(特に社会科学の)研究上、有益ではないか。
  • ドキュメントの利用方法の概略(ドキュメントを選択し、コーパスを構築する。ドキュメントが「誰にどんな意味を持つか」についての記述は個人的に重要と受け取られた)

ドキュメントの分類

ウェブらとリーらによる区別(Webb, Campbell, Schwartz and Sechrest 1966; Lee 2000)

  • 継続的記録……行政処理を記録するために作成されるもの
  • 逸話的・私的記録……個人が継続的にではなく、機会に応じて作成するもの

カルテ研究とナラティブ・メディスンに照らして理解するなら、前者が医師の公式の業務記録としてのカルテ、後者がカルテから離れて医師の個人的感情・思いを記すparallel charts ということになるだろう。

スコット:アクセス可能性からの分類(Scott 1990:14-8)

  • 非公開(例:総合診療医の作成したカルテ)
  • 制限付きのアクセス(裁判記録)
  • 文書館で公開されるアクセス
  • アクセスが出版によって公開となっている場合

コーパスの構築

ドキュメントの意味の分類

フリックは

  • ドキュメントの著者が意図した意味
  • ドキュメントと関わりをもつさまざまな読者にとっての意味
  • ドキュメントで取り上げられた人物にとっての社会的意味 の3つの意味があるとしている。

ドキュメントは現実の複製ではなくコミュニケーションの手段である

  • 省略。

詳述は避け、要約にとどめてあります。 自主研究では直接、発表はしませんでしたが、研究の過程でカルテというドキュメントを扱う機会があった(ご協力いただいた方にあらためて感謝を申し上げます)ので、自分の研究を振り返りつつ読みました。 とりわけ「ケース19.2 専門職養成のドキュメント分析」が、自分の以前志していた研究と関心・手法が近いものだったため、興味深く読みました。

【改訂版】選定の印は偽物か――建国システムと魔術の歴史についての考察(フリーゲーム『 冠を持つ神の手』より)

この記事は

  • フリーゲーム「冠を持つ神の手」の世界設定、および一部イベントへの重大なネタバレを含みます。
  • ゲーム内容を元にした考察ではなく、ゲームの世界設定の明示されていない部分に関する内容考察です。つまりメタではなくベタです。
  • ダウンロードはこちら。引用した公式Q&Aもここにあります。 bsfukufuki.hatenablog.com
  • 先日上げた記事と大筋の主張は同じです。

そもそもの断り書き

 はじめにひとつだけメタな話を。oumi氏はQ&Aコーナーでも「それ以上いけない」等、世界設定に対して明白な言及を避けてらっしゃる(ような感じがします)。グラドネーラ事典の控えめさとあわせて、oumiさんご自身が「真実を語る者」になることを避けられているようにみえます。……とはいえ、詮索する側としては秘められるほど気になるというのが人心というもの。先述の理由で情報がかなり不足しているゆえ「妄想」が混じってしまうのは避けられないのですが、あくまで類推・妄想としてお楽しみいただけたらと思います。

今回使った資料

「冠を持つ神の手」の世界設定(※イベントへのネタバレあり)

 舞台はリタントという王国です。リタントのある大陸は西部にリタント、東部にホリーラという国をそれぞれ抱えます。リタントとホリーラの間、大陸のほぼ中心には長い壁があり、建設されて以来それを越えたものはいないといいます。

壁 ホリーラとリタントの境に、北から南へと縦断する壁のことを指す。 アネキウス暦7200年代後半、統一国家ダリューラの分裂に伴い、国境線に沿って建設された。 石造りで高さは三メートルほど。途切れ目も扉も存在しない。 超えることは容易であるはずだが、建設されてこのかた超えることはおろか、その向こうを覗いた者すらいないとされている。 (グラドネーラ事典*http://wheat.x0.to/orig/dic/より)

 ひとつしかない大陸、およびこの世界の全体はグラドネーラと呼ばれています。そしてこれがリタントという国に特徴的な点なのですが、リタントの王は血縁ではなく「印」という身体的特徴により決まります。これを持つものは身分に関係なく王となります。リタントが建国されて数百年ほど、『冠を持つ神の手』のゲーム時点では王は5代目なのですが、それまでのところ印を持つ赤子は20年ほどおきに1人ずつ順調に誕生しています。

選定印 神に与えられた王たる者だけに授けられる冠とされている。生まれた時から額に浮かんでいる複雑な形をした痣で、緑色に光る。皮膚が直接染まっているかのようだが、その部分を刃物などで穿っても、肉の向こうからその緑の光が消えることなく覗く。王国リタントでは、この徴を持つ者だけが王となることが出来る。かつてリタントが統一国家ダリューラから分裂した際に、三足族を率いた初代国王の額にその徴があったことが起源となっている。 (冠を持つ神の手 Wikipedia*より)

 またアネキウス信仰のもとで魔術師は魔物と契約する邪悪な存在とされており、魔術師は地上から滅ぼされたとされています。が、実際は魔術と魔物は別物のようです。リタントでは魔術師は「神に見放された存在」として忌避され、さらにその存在さえ疑うものが多いようです。

(以下重大なネタバレ)

 実は本編には魔術、および魔術師が登場します。魔術の存在も魔術師の存在もほとんどの人に知られていませんが、登場する魔術師いわく、魔術師は魔物と契約はせず、魔術といわれる特殊な技能を身に着けた存在です。魔術師いわくこの世界における魔術は「己のうちの流れを汲み出し、加える」もので、かつある程度の訓練をすれば誰でもやってみることはできるそうです。印を持つものは知力、体力ともに常人より優れており、訓練すればひとかどのものになれる才能があると『冠を持つ神の手』の本編中でも述べられますが、印を持つことは偉大な魔術師になる資質でもあるようです。さらにゲームを進めるなかで、王城にある、王のみ立ち入れる宝具入れの入り口には魔術の仕組みが使われていて、その中には魔術によって操れる魔道具(とは王には気付かれていない古い道具)が多く収められていることも発覚します。

(重大なネタバレは以上です)

本編中に出てくる世界設定への疑問

furige-tabi.com さまがまとめてくださっています。詳しくはそちらを読んでいただくとして、要約するとその内容は

ルージョンの引っ掛かり

  • ルラントはなぜ(王城の魔道具がある倉庫の)魔力頼りの不確かな防犯システムを改善しなかったのか?
  • どうしてそんな危ういもの(魔道具)を王の権威を象徴する道具として大事に保管したのか?

タナッセの疑問

  • 選定印の授受は本来ルラント一代限りの約束だったのではないか? と思わせる記述が歴史書にある
  • ルラント自身が次代について言及したことが真実だとすれば、なぜ彼は「徴をもつものが一定周期で現れる」と知っていたのか? また彼はなぜ「徴を持つものが2人同時に現れる可能性がある」ことを知らなかった(その状況への対処を言い残さなかった)のか?

というものです。

本編中に出てくる世界設定に対する私の問題設定

  • 魔術や魔術師が「禁忌」扱いされるようになったのは、正確にはいつだったのか(われわれは「魔術師が禁忌」であるという前提で歴史を見ているが、たとえば実際は「魔術」「魔物」とが昔は区別されていて、ある時期(私たちが思っているよりもはるかに最近)に「魔術師=魔物」という思想とともに魔術師迫害がはじまった可能性はないか)
  • 関連して、魔術の禁忌は古くよりアネキウス信仰の一部なのか
  • 関連して、ルラントは魔術勢力だったのか(これもその当時に魔術が禁忌だったかにより意味合いは変わるだろうが、一応)

私の推測(本稿の結論)

  • 大昔、魔術はあらゆる人のもので、信仰には魔術の禁忌視は含まれてはいなかった。
  • ルラント自身が魔術師かどうかはわからないが、ルラント派はほぼ間違いなく魔術の使える一派だった。
  • ルラントが追われた理由としてルラントが魔術一派であることが明らかになったことがある、というよりはルラントが失踪するのと前後して、何者かの意図により、魔術が王権の内部から追放され、魔術師が禁忌扱いされるようになった&あわせて現在の国家宗教的な信仰が作られた可能性がある(そしてその「何者か」は歴史的記述に沿うならば、神殿勢力であると推定するのが自然ではあるだろう)
  • 徴システムの魔術性を知るのは神殿だけ、徴の真正性を判断できるのは王室だけ、という知識の非対称性も、ルラント失踪後につくられたのではないか。
  • 徴はルラント以前の古代の魔術師が「作った」ものだったのではないか。ルラント以外の魔術師(おそらくは神殿)が介入した結果、いまの印システムがつくられた可能性もあると思うが、その場合もすでにあった徴への改変、という程度であり、100%思い通りにできたわけではないのではないか。

傍証(※イベントへのネタバレあり)

 ここで注目したのは教義における表現です。魔術師の禁忌、国境越境禁止においていずれも「神に見放された」という表現が用いられています。 ☆ほかに「神に見放された」という表現が用いられている箇所はないか? アネキウス教の主要な教義には変更はないはずですが、そこに魔物の話はあっても魔術の話はあったでしょうか? また魔物が魔術師と契約する話はあったでしょうか?

【魔術師の滅亡】 何とも恐ろしいことに、かつてこの世界には魔術師がいたのだ。 彼らは魔物の走狗であり、堕ちた人間である。 目に見えぬ力を駆使し、人を惑わすものである。 魔術師の口が、真実を語ると思うな。 彼らは欺くものなり。 人に、神に、世界に叛く者なり。 しかしながら、神の怒りはついに彼らの上に落ちる。 かつては国まで支配して栄華を誇っていた彼らも、次第にその力を削がれていく。 そしてついに、あの魔術師狩りにより、我らは「最後の魔法王国」テラーソーの残党らを滅ぼし、この世より追放せしめたのである。 今やこの地に彼ら呪われた者どもの影はない。 しかし油断するな、人は弱く、再び魔物と契約する者が出ないとは限らないのだから。

と記述されている書物は、王城の「宗教書」ではなく「歴史書」です。 「魔術師の口が、真実を語ると思うな」というあからさまな否定は、ほんとうは「魔術師の口が、世界の真実を明らかにしてしまう」からなのではないでしょうか。魔術師の言うことが誰にも信用されなくなれば、王権のブラックボックス化は成功し盤石なものとなります。国家建設にあたり必要だった力に触れることを宗教的にタブー化することで、禁忌の確立とともに国家宗教性を確立させることに成功した、というのは、グラドネーラ世界が、民衆の生活の多くを宗教に依存し、かつ高速で大量の情報を共有する手段のない中世世界であることを考えても理にかなっているように思います。

「そういえば、こんな噂もあるんですよ。 古神殿はもちろんリタント建国以前からありますよね。 あるのは、こっちだけじゃないって話。 そう、壁のむこうですよ。 こっちとあっちを分ける壁のね。 それにね、さすがに聖山までには壁は建てられませんや。 罰当たりだ。 だから、奥のほうにこっそり向こうとつながる道があるんじゃないかって……まあ、信ぴょう性のないよくある噂ですけれど。 第一、壁の向こうにいるのは喧嘩別れした相手ですから。 化け物がうろうろしてるって話ですし、神に見放された国に行ってもねえ。 そんなところですね。」 【神殿書庫】

「そうそう、ご存知かしら?先の分裂戦役の頃。あの壁の向こうに追いやられた野蛮人たちは、私たちのことをこう罵ったそうですわ。この魔術師め!草原からきた魔の子孫め!って。ふふふ。壁の向こうの人たちにとって、私たち皆魔術師なんですわ。」 【ありえぬ存在・ユリリエ】

神殿が印を「作った」理由

 神殿も政治的集団である以上、魔術師が禁忌扱いされるようになったことに神殿勢力が深く関与しているとすると、神殿が魔術を独占・秘匿することと、権威を持つことの現在の関係性(当時信仰を創造することのメリット)がなければならないでしょう。ではそれは何でしょうか。 まず、医療技術としての魔術を独占できることが挙げられます。神殿は独自の医療技術を持っているとされていますが、実体は魔術である可能性が高いといえるでしょう。 魔術と称して奇跡を演出できる権利を神殿だけが独占することは、それ自体、権威を増すことが力に直結しやすい(権威以外の実行力はすでに十分に持っている)にとって有利なものといえるでしょう。 次に、魔術により神殿側が統治権を得られる可能性があげられます。選定印が魔術の素質によるものであるとすれば、そしてそれを知るものが神殿の家だけであるとすれば、数代に渡って準備をすることで印を得ることも不可能ではないからです。

(以下、重大なネタバレ)

 とすれば、4代にわたってファダーが印を得たことは偶然ではないことになります。また神殿が王権に取り込まれ気味だという風評*グラドネーラ事典より についても、実態はその逆に「王権が神殿に接近している」ということになるでしょう。

(ネタバレは以上です)

この推定は世界設定への疑問をどれほど解決できるか?

ルージョンの引っ掛かり

  • ルラントはなぜ(王城の魔道具がある倉庫の)魔力頼りの不確かな防犯システムを改善しなかったのか? →ルラントは魔術を王権運用に役立てようとしていたため王権の象徴具を魔術を用いたシステムで構築したが、神殿勢力によりそれを道半ばで絶たれたため、今は王城の倉庫とその中身の魔術システムだけが名残としてあるのではないでしょうか。
  • どうしてそんな危ういもの(魔道具)を王の権威を象徴する道具として大事に保管したのか? →上に同じ。ルラントは魔術を王権運用に役立てようとしていた(王権運用に利用しようとしていたことからしても、「少なくともルラントの失踪以前には魔術が禁忌視されていなかった)という説は信憑性があるのではないでしょうか。)

タナッセの疑問

  • 選定印の授受は本来ルラント一代限りの約束だったのではないか? と思わせる記述が歴史書にある →実際にルラントは一代限りのものとして「盟約」を交わしました。次代については血縁での継承を考えていたかもしれないし、あまり考えていなかった可能性さえあると思います。
  • ルラント自身が次代について言及したことが真実だとすれば、なぜ彼は「徴をもつものが一定周期で現れる」と知っていたのか? また彼はなぜ「徴を持つものが2人同時に現れる可能性がある」ことを知らなかった(その状況への対処を言い残さなかった)のか? →印システムはルラント以前の、太古の魔術師による魔術の産物であったため*1、ルラント自身にも神殿にも「だれがどのように印を得るか」というシステム自体を直接操ることはできなかった。*2

なお不明な点

  • ルラントが魔術師一派であったとするなら、魔術師の追放は一代でなされるほど容易ではなかったはず。神殿勢力は一代でそれをなしえたのか? またそうとして、いかにしてそれを実現したのか? *3
  • ルラント自身は魔術師だったのか
  • セッカナの死と神殿勢力の勃興には関係があるのか
  • 徴システムはいつ誰によって作られたか
  • 徴システムがルラント以前に作られていたものとして、ルラント以前の「徴持ち」はどのように過ごしていたのか。*4
  • (メタ的な話だが)「人を食う法」は徴システムに深く重要な関係があるとみなしていいのか

*1:公式Q &Aの「魔術の技法の多くは失われて久しい」&古代の魔術技術の高さの傍証としての「アネキウス=魔術師説」、ドゥナットの「古代の魔術師ってのは人間だったのか?」

*2:神殿は印システムの内容を知り、システムの生き抜き方をハックすることはできても、システムそれ自体をハックすることはできなかったのではないでしょうか

*3:神殿が魔術勢力をもうひとつ握っていて、魔術戦争があった…というような感じだったらアツいけれど、それにしてはゲーム中での神殿が一枚岩でないようにみえるのが気になる

*4:今でも王室以外は徴を知らないことを考えると、「変なあざだな」と思いつつもふつうにのんびり過ごせた、ということで矛盾はないようにも思う。

ウヴェ・フリック著 小田博志訳『質的研究入門』をあとがきより概観

本書が質的研究の入門書の中で占める位置づけ、また質的研究自体が社会学の中で占める位置づけについて日本での文脈を記した「解説(訳者)」が参考になるので折に触れて参照したい。 そもそも日本での社会科学の位置づけが世界でのそれと大きく異なる(はっきり言うと、心理学以外の社会科学が軽視されている)のだから当然だが、海外での質的研究の位置づけと日本でのそれが異なる。そして今の岸氏の著作の売れ方をみると、これから日本がますますガラパゴス的な状況に陥っていく可能性もあるだろう。注視したい。

その他、「解説」の中で個人的にメモっておきたい点 ・pp.607-608「質的研究とは、その通りに実施すべき、標準化された手順ではない。」「本書の重要なメッセージは『研究対象に適した手法を選ぶ』という指針である。」「本書に紹介されている具体的な方法を決められた選択肢とは考えずに、むしろヒントとして捉えた方がよい。」 pp.607-608「質的研究とは、私たちが何かを知るためにとっている『ふだんの方法』を再発見し、活用するものである(本書p.148参照)。だから本書に出てくるいろいろな方法を、日常の場面に引きつけながら読むと、より地に足のついた理解ができるだろう。逆に、それら質的方法を『杓子定規に従うべき決まり』とは考えない方がよい 」

参考:質的研究のデザイン

(文献ミニ・リスト)医療社会学/医療人類学

先日の「スペキュラティブ・デザイン」と同じく、医療人類学・医療社会学についても本をかりたのでメモ。 「少なくとも二者(医療社会学・医療人類学)の違いが明確に述べられない状況は脱しなければ」という(いまさらながら志の低い)決意とともに、このあたりの本を何冊か読む……かもしれない。

黒田浩一郎編(1995)『現代医療の社会学 日本の現状と課題』世界思想社. 山崎喜比古(2001)『健康と医療の社会学東京大学出版会. 医療社会学の入門書二冊。 ※大阪大学総合図書館のTA作成リーフレットPaste(ぱすて)「医療社会学について調べる」を参考にしました(そこに載っている本から選びました)。ありがとうございました。

パイロン・J・グット著、江口重幸ほか訳(2001)『医療・合理性・経験 パイロン・グットの医療人類学講義』誠信書房. 医療人類学の本。講義とあわせて読む(かもしれない)。

J.M.メツル/A.カークランド編、細澤仁ほか訳『不健康は悪なのか 健康をモラル化する世界』 比較的新しい医療社会学の論考集。友人が読んでいて知った。「第12章 セックスは健康のために必要か?」と「第9章 受動−攻撃性パーソナリティ障害の奇妙に受動−攻撃的な歴史」「第10章 強迫性障害の氾濫−−精神医療への異議」がおもしろそうなので覗いてみる。

ウヴェ・フリック著、小田博志監訳『質的研究入門 〈人間の科学〉のための方法論』改訂版第14章(要約)

今回はほぼ本文の抜粋です。

ナラティブへの期待
「この(=ナラティブをデータの一形式として扱うこと)の出発点にあるのは、質問―回答形式の旧来型のインタビューで――それが仮に柔軟に実施されても――、人びとの主観的経験をどこまで明らかにし得るのかという根本的な疑念である。」
「ナラティブ・インタビューにおいて、ナラティブというデータの種類には、一方で、事実経過がはっきりする、つまり『それが本当はどうだったか』が明らかになるとの期待が寄せられる。他方では、そのように語られたライフヒストリーの分析から、バイオグラフィー的プロセスの一般理論が導かれる。シュッツェはこれを『個人のライフコースのプロセス構造』と呼ぶ。」

データとしてのナラティブの特徴
データとしてのナラティブを得るための方法論
・「ナラティブ・インタビューは『ナラティブ生成質問 generative narrative question』(Riemann and Schütze 198: 353)をインフォーマントに向けることで始まる。」
・インタビューは、ナラティブ生成質問→インフォーマントが語る→追加質問→総括、という流れで行われる。
・総括の段階で「インタビュイーは『自分自身の専門家かつ理論家』とみなされる」。
・「生成質問によっていったんインタビュイーが語りはじめると、こちらが口をさしはさんで妨げるようなことを原則的にしてはならない。」
・「ナラティブにはそれが語られている間、ある種の独立性がある。」
・「ナラティブ・インタビューの場合、まず『どのようにhow』を問い、その後ではじめてその答えを補完するための説明に焦点を当てて、『どうしてwhy』と問うのがよい、とリーマンは助言している。」
データとしてのナラティブの評価基準
「ナラティブ・インタビューで得られる情報の妥当性を判断する中心基準は、まずインタビュイーの話がナラティブであるかどうかである。」
・発端から結末までを含むことが望ましい、としている。
データとしてのナラティブの問題点
・「構造化されていない大量のテクストをどう解釈するか」
構造化の程度の低いデータが大量に生まれ「データに溺れる」ことにもなりかねない、と述べられています。
・半構造化インタビューで可能なトピックではないか? という問い返しが必要であるとも述べられていました。構造化の程度が低い手法は全体的な考察を可能にするが、検証したい物事の幅が増えるとデータが増え、認知能力的にも作業量的にも現実的なものではなくなるということでしょう。フリックが示唆しているのは、この手法は先行研究を調べ、テーマを絞り、半構造化インタビューでは扱いきれないような研究テーマがでてきた時のみに用いるべき手法だ、ということだと私は考えます。

ナラティブの3つの拘束(蛇足)
語り始められたナラティブが受ける拘束として、フリックは3つの拘束を挙げています。
・形態を閉じるための拘束
・濃縮のための拘束
・詳述のための拘束
「これらナラティブのための拘束によって、他の形式の口頭表現におけるような語り手の側の制御が弱まって、言いがたい話題や領域についても述べられるようになる。」と述べられています。

ナラティブ・インタビューとエピソード・インタビュー
・エピソード・インタビューの出発点、思想的基盤は「特定の領域に関する主観的経験はナラティブ・エピソード的知、ならびに意味論的semanticsな知の形で貯えられ、かつ想起されるとの前提である。」
・「エピソード・インタビューでは、まず具体的な文脈につながりのあるナラティブに時間が割かれる。」「エピソード・インタビューでは、経験を『語ることのできる全体』として人工的に様式化しようとはしない。」
→この『語ることのできる全体』としての人工的な様式化、こそがナラティブのことであると思われます。エピソード・インタビューの思想と対照することで、ナラティブ・インタビューで重視されている「ナラティブの全体性=個人の主観的経験の全体を語ることができる形式としてのナラティブ」という点が浮かび上がりますね。この違いは冒頭の「この章の目標」では「ライフヒストリーとエピソードの間の違い」と書かれています。
エピソード・インタビュー研究の具体例として本書のなかで挙げられていたのは「日常生活におけるテクノロジーの変化」を探るために「テクノロジーとの最初の出会いの記憶、テクノロジーと結びつきのあるもっとも重要な経験」を様々な職業グループについて尋ねるというものでした。ジャンルは科学論に足をかけたものですね(面白そうだなー)。
※エピソード・インタビューの手法を応用可能な分野として、他には「社会心理学」が挙げられています。(特定の領域に関する主観的経験をナラティブ・エピソード的・意味論的に得ることは、特定の心的概念についての(あるいは心的概念そのものとしての)個人の主観的知を得ることにもつながりますから、これが社会心理学にも応用可能なのは論を俟たない、ということ)

ナラティブ・インタビューおよび、エピソード・インタビューは「完全にオープン」なインタビューか?
本章中の答えは否、です。
・「よいナラティブ生成質問には、それに続くナラティブを高度に構造化する側面もある」
・「こうしたナラティブ志向の方法でも、やはりインタビュアーによって方向づけられたり、インタビュー状況の構造化がなされることも忘れてはならない。」
ナラティブが共同構成されるものだ、という議論を踏まえれば、この発言もまた納得できるでしょう。

研究デザインの選択と『堂々と語る』ことと

「フリックは『全ての研究デザインを身につけてから、テーマごとにもっともふさわしい研究デザインを選択する』ことを勧めているが、私はむしろ研究デザイン同士の特徴を知った上で適切なものを選択し、選択したそのひとつについてよく身につけることを勧める」といった趣旨のことを先生が授業でおっしゃっていた。

これを
A・研究手法を選択するために必要なのは各手法の得意不得意についての知識=研究方法論についてのメタな知識である。
B・研究手法を実践することで手に入るのは、各手法の実践がいかなるものかについての具体的な知識=個々の研究方法についてのベタな知識である。
C・メタな知識を手に入れるためにベタな知識は必要だと考える人もいるが、現実的な(時間的・金銭的等々の)制約を考えるとき、メタな知識のみを身につけベタな知識の摂取は最小限にとどめるのが効率的である。
という論に分解できるなあと思った。

Cの論拠は「読んでいない本について堂々と語る方法」に詳しいので、興味のある方はぜひ(遠回しな本のオススメになってしまった)。

私も『質的研究入門』を学び、研究手法について「堂々と語れる」ようになりたいものだ(と思うのであった)。

選定の印は偽物か(フリーゲーム『冠を持つ神の手』考察)

この記事は

フリーゲーム「冠を持つ神の手」への重大なネタバレを含みます。
・ダウンロードはこちら


「冠を持つ神の手」の世界設定

・ゲーム自体は育成系のものです。

・舞台はリタントという王国。
・リタントのある大陸は西部にリタント、東部にホリーラという国をそれぞれ抱える。リタントとホリーラの間、大陸のほぼ中心には長い壁がある。

“壁
ホリーラとリタントの境に、北から南へと縦断する壁のことを指す。
アネキウス暦7200年代後半、統一国家ダリューラの分裂に伴い、国境線に沿って建設された。
石造りで高さは三メートルほど。途切れ目も扉も存在しない。
超えることは容易であるはずだが、建設されてこのかた超えることはおろか、その向こうを覗いた者すらいないとされている。”
グラドネーラ事典より)

・ひとつしかない大陸、およびこの世界の全体はグラドネーラと呼ばれている。
・リタントの王は血縁ではなく「印」という身体的特徴により決まる(これを持つものは20年に1人ほど生まれ、そのものは身分に関係なく王となる)

“選定印
神に与えられた王たる者だけに授けられる冠とされている。生まれた時から額に浮かんでいる複雑な形をした痣で、緑色に光る。皮膚が直接染まっているかのようだが、その部分を刃物などで穿っても、肉の向こうからその緑の光が消えることなく覗く。王国リタントでは、この徴を持つ者だけが王となることが出来る。かつてリタントが統一国家ダリューラから分裂した際に、三足族を率いた初代国王の額にその徴があったことが起源となっている。”

冠を持つ神の手 - Wikipediaより)

そもそもの断り書き
・oumi氏はQ&Aコーナーでも「それ以上いけない」等、世界設定に対して明白な言及を避けてらっしゃる(ような感じがする)。
グラドネーラ事典の控えめさとあわせて、oumiさんご自身が「真実を語る者」になることを避けられているようにみえる。*1
・とはいえ、詮索する側としては秘められるほど気になるというのが人心というもの。先述の理由で情報がかなり不足しているゆえ「妄想」が混じってしまうのは避けられないのですが、あくまで類推・妄想としてお楽しみいただけたら。

今回使った資料
「冠を持つ神の手」質問企画
・ブログ『フリゲと旅と映画について』さま

『冠を持つ神の手』 ルージョン 感想 攻略 その11 - 冠を持つ神の手
・シナリオ中のキャラセリフ、本の記述

本編中に出てくる世界設定に対しての疑問
・魔術師が「禁忌」扱いされるようになったのは、正確にはいつだったのか(われわれは「魔術師が禁忌」であるという前提で歴史を見ているが、たとえば実際は「魔術」「魔物」とが昔は区別されていて、ある時期(私たちが思っているよりもはるかに最近)に「魔術師=魔物」という思想とともに魔術師迫害がはじまった可能性はないか)
・関連して、ルラントは魔術勢力だったのか(これもその当時に魔術が禁忌だったかにより意味合いは変わるだろうが、一応)

私の推測
・大昔、魔術はあらゆる人のもので、信仰には魔術の禁忌視は含まれてはいなかった
・ルラント自身が魔術師かどうかはわからないが、ルラント派はほぼ間違いなく魔術の使える一派だった
・ルラントが魔術師であることがばれて……というよりは、ルラントが失踪した後に、何者かの意図によって魔術が王権の内部から追放され、魔術師が禁忌扱いされるようになった&あわせて現在の国家宗教的な信仰が作られた可能性がある(そしてその「何者か」は歴史的記述に沿うならば、神殿勢力であると推定するのが自然ではあるだろう)
・徴システムの魔術性を知るのは神殿だけ、徴の真正性を判断できるのは王室だけという知識の非対称性も、ルラント失踪後につくられたのではないか。
・徴はルラント以前の古代の魔術師が作ったものだったのでは? ルラント以外の魔術師(おそらくは神殿)が徴に「手を加え」いまの仕組みをつくった可能性もあると思うが、魔術の技法の多くは「失われて久しい」という公式Q&A、またドゥナットの「古代の魔術師」という発言を踏まえると、徴自体が編まれたのははるか昔なのではないか。
・アネキウスは偉大な魔術師が神格化された存在かもしれない

傍証 ※ちょっとかなり説明をすっとばしています
・魔術師の禁忌、国境越境禁止における「神に見放された」という表現の多用(国家建設にあたり必要だった禁忌を宗教化することで、禁忌の確立とともに宗教性を確立させることに成功した、というのは、グラドネーラ世界が高速移動手段のない中世世界であることを考えると理にかなっているように思う)
・「そういえば、こんな噂もあるんですよ。
古神殿はもちろんリタント建国以前からありますよね。
あるのは、こっちだけじゃないって話。
そう、壁のむこうですよ。
こっちとあっちを分ける壁のね。
それにね、さすがに聖山までには壁は建てられませんや。
罰当たりだ。
だから、奥のほうにこっそり向こうとつながる道があるんじゃないかって……まあ、信ぴょう性のないよくある噂ですけれど。
第一、壁の向こうにいるのは喧嘩別れした相手ですから。
化け物がうろうろしてるって話ですし、神に見放された国に行ってもねえ。
そんなところですね。」
【神殿書庫】
・「そうそう、ご存知かしら?先の分裂戦役の頃。あの壁の向こうに追いやられた野蛮人たちは、私たちのことをこう罵ったそうですわ。この魔術師め!草原からきた魔の子孫め!って。ふふふ。壁の向こうの人たちにとって、私たち皆魔術師なんですわ。」【ありえぬ存在・ユリリエ】

この考えのおかしい点
・魔術師が禁忌扱いされるようになったことと神殿勢力が深く関与しているとすると、神殿が魔術を秘匿することと、権威を持つことの現在の関係性(当時信仰を創造することのメリット)がなければならないと思う

なお不明な点
・ルラント自身は魔術師だったのか
・セッカナの死と神殿勢力の勃興には関係があるのか
・徴システムはいつ誰によって作られたか
・徴システムがルラント以前に作られていたものとして、ルラント以前の「徴持ち」はどのように過ごしていたのか。*2

・(メタ的な話だが)「人を食う法」は徴システムに深く重要な関係があるとみなしていいのか

*1:雑文2008年4月20日世界の真実とか」で、氏は”「真実」って結局誤謬と思い込みからは逃れられない”というようなことを書かれています

*2:今でも王室以外は徴を知らないことを考えると、「変なあざだな」と思いつつもふつうにのんびり過ごせた、ということで矛盾はないようにも思う。