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(抜書メモ)秋元泰介他「物語生成システムにおける物語言説機構について−−物語言説論と受容理論を導入したシステムの提案−−」

アブストより

A “story” means the content of a narrative and is described with the conceptual representation of temporal ordered events in the narrative generation system. On the other hand, a “discourse” means how to form a story and is described with the conceptual representation that is corresponded to a real text structure. In the research of narrative generation system, few approaches deal with the aspect of narrative discourse.

補足

  • story(物語内容、ストーリー)
  • discourse(物語言説、ディスコース

本文より

物語論では伝統的に,物語にお ける「何を」語るかの側面(物語内容(story))と 「如何に」語るかの側面(物語言説(discourse))を 区別する.どちらを対象とするかあるいは重視する かによって,異なるタイプの物語論が構成される1). 1) 例えば,プロップの昔話形態学は前者に関する研究で あり,後述するジュネットの物語言説論は後者に関する研 究である.従来の物語生成システムは基本的に物語内容 生成システムであった.しかし物語において真に面白い 部分,重要な部分は物語言説の方にこそあるという考え も十分に有力である.例えばジョイスの『ユリシーズ』の 物語内容は平凡な中年男と青年の一日の日常生活である に過ぎない.しかしそれはその物語言説の構造と表現に よって偉大な作品となっている.

同じくアブストより

A distinguished characteris- tic in this system is to use two literary theories for developing its important mechanisms. First, narrative discourse techniques for manipulating narrative discourse structures are defined according to the narrative discourse theory by Genette. Second, the circula- tive generation process for these narrative discourse techniques is controlled using the repetitive interaction between a narrator and a narratee based on a computational in- terpretation of the reception theory by Jauss.

補足

  • the narrative discourse theory by Genette→ジュネットの物語言説論(”ここで(ジュネットの)物語言説論と呼ぶのは, Genette (1972) がプルーストの『失われた時を求 めて』の構造的分析の体裁を取って提唱した,物語 (r ́ecit)における物語言説(discour)の体系的研究 のことである5). ”) Genette, G. (1972). Discours du r ́ecit, essai de m ́ethode, Figures III. Paris: Seuil. (花輪 光・ 和泉 凉一 訳 (1985). 『物語のディスクール』. 東京: 水声社.)
  • the reception theory by Jauss→ヤウスの受容理論(”ヤウスの 受容理論は概略,文学テクストの主要な生産主体を 作者から読者に逆転させ,読者中心の観点から文学 の歴史的進展を説明した研究である”) Jauss, H. R. (1970). Literaturgeschichte als Pro- vokation. Frankfurt am Main: Suhrkamp Verlag. (轡田 収 訳 (2001). 『挑発としての 文学史』. 東京: 岩波書店.)

疑問

  • なぜ数ある(と思われる)物語言説理論のうちで、特にジュネットとヤウスに注目したのか? (「受容理論」を選んだ理由としては”物語生成プロセスを一回的なものではなく永続的なサイクルとして設計する必要がある ”という本文中の記載が理由では、と思ったが、それにしても理由はおありのはずだから、はっきり言ってもらえると助かると思いました…勉強します)
  • 結局文学理論の理論的側面自体をモデルに反映させるわけでないなら、ヤウスとジュネットの名を出す必要はあるだろうか?(例えば表4での物語言説技法の対応も「対応する物語言説技法」がほぼすべてに同じものが当てはまっており、実質、筆者が(もとの文学理論にかかわりなく)新しく実際に即した定義をしなおされているようにみえる。また筆者自身”ここで意図しているのは単にジュネットの物語 言説論の物語生成システムへの「応用」ではなく,その一 部にそれも含む,より一般的で包括的な物語言説機構の構築である.この意味では,ジュネットの物語言説論はそ のための出発点に位置付けられる.例えば,描写の具体的方法についてジュネットは示していないが,小方・遠藤・ 須田 (2004) は,物語生成システムにおける描写の言説技法の一方法を提案した. ”と述べられている。この研究が仮にうまくいったとしても、少なくとも文学理論方面への貢献は控えめなものにとどまるように私には思われた。)

その他引用

物語内容処理は構造生成を主とし,物語言説処理は構造変換を主とする. 「物語内容」と「物語言説」の定義より、比較的易しく理解できる。

わからない用語

  • ハイパーテキスト型の物語、ハイパーテキスト小説
  • 終端節点、上位節点、階層的な木構造
  • 事象
  • 格フレーム形式
  • 概念表現、概念
  • 事象を構成する深層格、動詞概念
  • 子節点(あと、節点は結合する…というコロケーションでいいのか?)

Lakoffの概念メタファー理論(補足)

概念メタファー理論とは、従来の「メタファーは言い換えである(比較説)」「メタファーは直喩の短縮である(代替説)」というメタファー論から一線を画し、メタファーが人の認知(思考過程)それ自体に影響し、成り立たせているとするもので、Lakoff(レイコフ)という認知心理学者が提唱しました。

レイコフらによれば、メタファーというのは単に言葉や言葉使いの問題ではなく、人間の思考過程を成り立たせる重要な要因なのであり、メタファーとはメタファーにより成り立つ概念のことを意味する。 http://www.ec.kagawa-u.ac.jp/~mogami/metapher94.html

この理論により、従来単なる修辞的技術と捉えられていたメタファーが、認知心理学認知言語学の対象として扱われるようになったのは想像に難くありませんね。

先日更新した、学会発表の「メタファー写像と後編集を利用する物語文章生成フレームワーク」で述べられていた研究意図にかかわる部分にLakoffのメタファー理論があるそうで、その点を補足します。

メタファー写像に関して、Lakoff [Lakoff 93] は、「写像にお いて、根源領域の表現間の (位相) 構造は目標領域内でも保た れる ∗1。」という不変性原理を提唱した。この原理に則ると、 任意の 2 つの意味領域間において数個のメタファー写像の存 在が確認されれば、根源領域内の他の表現も位相構造を保った まま目標領域内に対応づけることができる見込みが非常に高 い。言い換えると、次の 2 つのことが成り立つ見込みが非常 に高い。 * テキストのジャンルを問わず、数個のメタファー写像の 存在が確認されれば、表 1 のようなデータベースが高い 品質で構築できる * ゲームやシミュレーター内に実装されている種々の制約 や論理が、物語文章生成においても制約・論理として働 くので、物語の展開において、「狭い意味でのフレーム問 題」[人工知能学会 05] を回避できる 我々は、これらの成立の検証も兼ねて本研究を進めている。 “ (人工知能学会「メタファー写像と後編集を利用する物語文章生成フレームワーク」)より。

引用中に述べられた「不変性原理」については下の論文の「3.不変性原理」に詳しいです。(論文自体は、文学作品の分析に概念メタファー理論を用いているものです) https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/ER/0021/ER00210L001.pdf

この物語生成実践の中にある「メタファー性」の定義は、Lakoffの本来の意味での「認知を構成するもの(他の等価な表現に置き換えることが不可能なもの)」としてのメタファー、という定義を逸脱しているのは間違いないですが、こうした文学理論をヒントに、情報分野での研究に有用なブレークスルーが生まれるとしたら面白いですね。

人工知能学会「物語の生成」

追記)抄録を読みました bsfukufuki.hatenablog.com

2018/06/06 人工知能学会発表

f:id:fukufuki:20180722190434j:plain 物語生成をモジュール化できる! →各部分の分担により進展が考えられる (発表要旨中では、日本語非依存な部分が弁別できるという利点も述べられていました)

(メタファーの数が少ないのが難点ということで メタファー生成の実験を実施されたらしく(学生協力)、 こんな課題が出たら面白いだろうなーと思いました。)

メタファーの種類について、現在はチェス・迷路の二つがあるそうです。

f:id:fukufuki:20180722190437j:plain 固有名詞の変換などを生成後のあと変換で行う

次やることはコーパス形成と、メタファーの集積(メタファーについては青空文庫などを使おうと思っておられるとのことでした)

f:id:fukufuki:20180722190439j:plain 提案手法は、意外と人間と同じことをしてるのかも? というスライド。

当日あった質問

・野口様(物語論)コメント:文系の物語論でもトポロジーを指摘する人もいるので面白かったです ・現実のcomplexity はどう実現する?(メタファーの写像を現実と同等の複雑さにしていればそれはシミュレーションではないのでは?)→後編集で担っていこうと考えている(実装はまだ)

感想

・発表中に内海様もご説明されていましたが、物語生成にメタファーを持ち込むというのは従来の手法とまったく異なるアプローチなのですよね。(より正確には、従来の手法は「物語内容(story:何を語るか)の決定→物語言説(discourse:いかに語るか)の決定→文字列化」の流れで物語生成を実現しようとするので、その流れを汲まない点が新しいです。詳しくは以下の発表抄録をご覧ください) https://confit.atlas.jp/guide/event-img/jsai2018/2E2-01/public/pdf?type=in

精神分析読書会 2018/07/12「転移神経症概観」

活動内容

  • 「転移神経症概観」に登場する神経症・精神病について、フロイトや同時代人の症例録を各自、よみ発表した。

目標

  • メタサイコロジー論のもとになったフロイト初期理論に密接に関連し、また〜メタサイコロジー論に至るまで通底する、フロイトの症例理解について知ることで、今期の読書会で学んだ(メタサイコロジー論の提唱時≒中期の)フロイト理論を復習しつつ、違った角度から理解を深める。 (パラノイア、ヒステリー等、現在の精神科では扱わない独特な用語もある&ラカンの「普通精神病」ではないが時代とともに精神病のあり方も変わっているので、医学生にとってもフロイト理論理解の大きな助けになりました)

メモ(「転移神経症(草稿)」の本文について)

  • 倒錯 →「欲動とその運命」を参照

  • 転換ヒステリー →cf. 解離ヒステリー

http://criticon.blog.fc2.com/blog-entry-148.html http://home.u02.itscom.net/fukumoto/hp/shyohyo/archives/imago92-6.html https://ci.nii.ac.jp/naid/110000458983 http://knon.hatenablog.com/entry/2014/08/07/223934

症例の調べ物発表

シュレーバー症例録(パラノイアの例)

参考: https://kseminar.exblog.jp/16146981/

  • 「妄想とは回復の試みである」

世界からのリビドー撤収(愛された対象からも)=ナルシシズムへの移行 →世界が「のっぺりした」ものになる →投射を用いて世界との関係を回復しようとする=妄想

アンナ・O(転換ヒステリーの例)

  • 父親の看病をしていた
  • 症状が出た後にブロイラーの治療 →父親の死で症状が再燃

  • 多言語に堪能、論理的、頭がいい、が性的には未発達

  • 自分のつくった物語をしゃべる癖がある

  • 母語(ドイツ語)が話せなくなる、間違った発語しかできない、冠詞しかしゃべれない →イタリア語で話す

以下、アンナ・Oの症状(なかなか派手ですね……) * 視覚障害 * 幻覚 * ネガ幻覚:あるはずのものが見えない * 手が動かない * 耳が聞こえない * 水が飲めない、家庭教師への不満を言うと飲めるようになる * 話すことで症状が改善する * 1年前の日記について話し出す。「服の色がおかしい」というと思ったら1年前の記録と関係していた * 症状から回復すると、症状があったとき私はそれを「後ろから見て」いた。悪いことをしようとしてそれをした、病気ではない、と言う

ハンス少年(恐怖症の例)

  • 馬が怖い
  • お父さんへのエディプス的感情を馬に仮託していた …馬に例えられたのは父に髭があって馬に似ていたから(連想)
  • ハンスが性器をいじったときにお母さんに注意された
  • 「お母さんと一緒に寝たい」と思うほどお母さんが好きだった
  • お母さんとでかけたとき「倒れた馬」を見た
  • 死にそうな馬とお父さんを同一化 →馬が怖かったけどもう大丈夫 →自分がお父さんを噛みはじめる →「自分がお父さんを噛めるということはお父さんも自分を噛めるんだ」(後ろめたさから、罰としてお父さんが自分を噛むと発想した)
  • お父さんは敵、お母さんは性行為ができる いずれも抑圧された思念、だが5才児だからわからず →それが「馬」として現れた (連想からの「遠い表象」が意識に現れる、という理論との関連、エディプスコンプレックスとの強い関連を感じる。読書会でも、わかりやすいエディプスコンプレックスの症例だね、との意見が多かったです。フロイトがこの症例からエディプスコンプレックスへの洞察を深めただけでなく、当症例報告自体、フロイトの当症例理解と自説とが渾然一体となっているのでしょうが)

(※備忘録)フロイト読書会「喪とメランコリー」と、思ったこと

疑問

  • 第一局所論における「自我」はどこにも局在しないものと捉えればよいのか?
  • フロイトのいう「想起痕跡」がフロイト(および、オットー・ランクほか「喪とメランコリー」本文中で記載がある別人物の)別の文献に由来しているようだが、見つけ出せていない(なお「快感原則の彼岸」およびそれより派生した「マジック・メモについてのノート」には”知覚”による無意識の痕跡のことが記されており、この疑問への直接の解答ではないものの参考にはなる)

参考URL

touch-touch-touch.blogspot.com www.fragment-group.com

(※備忘録)読書会『中動態の世界』と、思ったこと(フーコー、教育論、なぜなぜ分析)

先日、『中動態の世界』4章・5章の読書会を終えました。参加者のご発言と、そこから自分が思うところを備忘録的にメモします(後日、加筆するかもしれません)。

私の問題意識(コメントの前提)

『中動態の世界』の描いた世界を、いかに実社会の文脈での問題解決に役立てるか(特に、中動態の議論自体はよく当てはまりそう、かつ、能動/受動の線引のむずかしさが実社会での問題解決にハードルとなっていそうな、教育・虐待・ハラスメントの文脈について、最近は考えていた)

参加者のコメント(への私のコメント)

  • 「ビジネスの場などで行われる『なぜなぜ分析』が悪者をつくらない方法として優れていると聞いたことがあるが、これも中動態ではないか」 →例えば「ナラティブを促す質問技法」のように「中動態へのスイッチを促す技法」というメソッドのパッケージを作るという方法で、実用的な対処法へのアクセスを作ることは可能なのかもしれない、と感じた。
  • 他者に対するインプット(外部環境)変化→アウトプット(行動)変化についての情報セットは持っているが、インプットとアウトプットの間に介在するもの(≒意志)を知っているわけではない。他者についてインプット→アウトプットの情報セットをよく知っている状態であっても、意志それ自体は触れ得ないものとされていることが興味深い。 →(人間の操作とてそこまで思い通りに制御できるわけではないが)すこしだけ学習理論的な理解を加えるならば、この発言は
  • 人間の他者理解は「インプット(刺激)変化→アウトプット(行動)変化についての情報セット」以上のものであるのか
  • 人間は常識的な言説の範囲で他者の「ブラックボックス(認知)」を「理解した」と考えているか(「理解した」の定義に難がありますね)
  • 人間は常識的な言説の範囲で「意志」を理解不可能なブラックボックスと考えているか
  • 1点目が誤、2点目が正(つまり人間の他者理解が「インプット変化→アウトプット変化についての情報セット」以上のものでなく、かつ、人間は常識的な言説の範囲で他者の「ブラックボックス(認知)」を「理解した」と考えている)とすれば、ブラックボックス自体を理解していないのにブラックボックスを理解していると思っているのはどうしてか
  • 2点目が正、3点目が正とするならば、常識的な「他者の認知」概念と「他者の意志」概念の、人間にとっての「理解できる」と思えるかどうかの度合い(”理解からの近さ感”)のズレはなにに起因するか と書き換えられるなと思った。
  • 「中動態」は刑事事件をいかに裁くかとは相性が悪そうですね →「この犯罪は能動でも受動でもないじゃん」という言説、例えば「『無敵の人』の犯罪について、社会も悪いけれど本人も悪い。さらには被害者も悪いじゃないか! すべては能動でも受動でもない、中動態なのだから!」といった言説が刑事事件の判定を混乱させるのではないかという懸念は容易に理解できます。しかし個人的には、刑事事件を「いかに裁くか」自体は法学の出番で、そこには「行為が能動か/受動か」というクオリア的側面に触れずに行為の悪性度を判定する独自の技法があるように思っていたので、中動態の問題意識と「刑事事件をいかに裁くか」という問題意識はそもそも重なり合わないのではと思った(のですが、法学徒で『中動態の世界』を読まれた方、いかがお考えでしょう)。 そして刑事事件が裁かれた後に、世間的な解釈(=犯行の「物語」)がいかに紡がれていくかを見ていけば、安易な「能動/受動の語り」が議論をいかに混乱させるかを見て取ることができ、さらにこうした混乱は「中動態」の視点を持つことによってよりよく理解されるでしょう。もっとも、よりよく理解できたとして、問題への適切な対処を考えるのがその先の問題になりますが。 (思想をすべての人に行き渡らせることで思考様式を変えるのが認知資源的に現実的でない場合、制度設計という形で思想を確定した仕組みのうちに埋め込み、認知資源を節約する方法がよいというハックは、いつどこで習うのでしょうね。私が臨床コミュニケーションにあたって「カルテ」を執拗に重視しているのも、このあたりの認知が関係している気がします)
  • ハラスメントは「中動態の世界」だ →ハラスメントをめぐるTwitter言説の混乱は、まさに「安易な『能動/受動の語り』が議論をいかに混乱させるか」を体現しているでしょう(このへんの話題に最近興味があるので、中動態とからめて論じているブログがあれば教えてほしいです)。

ひとりごと

最近は、あたらしいものの自主勉強や、継続している読書会等の知的生活がおおむね安定しています。ですので更新したいネタはいくつかあるのですが、ガッコウの期末試験直前の準備がなにかといそがしく、なかなか更新できない……。Twitterでも少しつぶやいたのですが、人工知能学会@鹿児島は「物語の生成」研究をされていた方と、「ロボ・ルーデンス」のご発表が特におもしろかったので、余裕があればまたまとめてみます。